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東京地方裁判所 昭和51年(ヨ)2413号 決定

申請人 大賀英二

右代理人弁護士 丸井英弘

同 新美隆

被申請人 鈴江武彦

右代理人弁護士 奥毅

同 金田泉

主文

申請人が被申請人に対し雇用契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。

被申請人は申請人に対し昭和五一年一一月一日以降本案第一審判決言渡に至る迄毎月二五日限り一か月金一五万三五九〇円の割合による金員を仮に支払え。

申請人その余の申請を却下する。

申請費用は被申請人の負担とする。

理由

(申立)

申請人は主文第一項、第四項と同旨及び「被申請人は申請人に対し昭和五一年一一月一日以降本案判決確定に至る迄毎月二五日限り一か月金一五万三五九〇円の割合による金員を支払え。」との裁判を求め、被申請人は「本件申請を却下する。申請費用は申請人の負担とする。」との裁判を求めた。

(当裁判所の判断)

一  当事者間に争いのない事実は次のとおりである。

1  被申請人は鈴江内外国特許事務所(以下単に「事務所」と略称する。)の主宰者であり、同事務所は特許関係全般の業務を処理している。申請人は昭和四七年八月一日被申請人に雇用され、専ら明細書作成業務に従事してきた。

2  申請人の賃金は昭和五一年一〇月当時三か月平均額が金一五万三五九〇円であって、毎月末日締切、二五日支払の定であった。

3  被申請人は昭和五一年一〇月一四日申請人に対し、「昭和四六年秋の警視庁機動隊寮などの連続爆破事件の被疑者をかくまう等の容疑で逮捕されその旨各紙に大々的に報道されたことは当事務所の体面を著しく汚すものであって右行為は就業規則第四十二条第八号および第九号、第四十一条第六号、第十二号、第十三号に該当するので懲戒解雇する。」との意思表示をし、該意思表示は昭和五一年一〇月一六日申請人に到達した。

二  そこで、右懲戒解雇の効力につき検討する。

1  申請人が昭和五一年一〇月一四日午前逮捕されたこと、被申請人の懲戒解雇の意思表示が同日夜であったこと、申請人に関する新聞報道がなされたこと、被申請人の就業規則第四〇条第五号には「懲戒解雇は行政官庁の認定を受けて予告期間を設けず(第三十二条を適用せず)解雇する」との規定があること、被申請人が一旦なした除外認定申請を取下げたことは当事者間に争いがない。

2  右争いのない事実に疎明資料を綜合すると、次の事実が疎明される。即ち、

(一) 申請人は昭和五一年早朝逮捕されたが、同日夕刊(朝日、毎日、読売、日本経済、サンケイ、東京各新聞)には、昭和四六年九月二二日から同年一一月一一日までの間に、共産同エル・ゲー(共産主義突撃隊)の活動家数名が警視庁機動隊猶興寮、東京地検のほか警察署派出所三か所に爆弾を仕掛けて爆発させた(内三件は未遂)という容疑で、共産同中央委員竹内毅らが逮捕された際、申請人は指名手配中の竹内がアパートを借りるのに保証人に立ったり、親類の名前を貸したり、あるいは実兄の名前を使わせたりして逃走を助けたという爆発物取締罰則第九条違反(犯人蔵匿または隠避)の容疑で逮捕されたとの記事が掲載された。右各紙の報道は世上関心の集められていた爆破事件だけに大きな見出をつけた取扱であったが、申請人についてはその住所、氏名、年令の他に「早大卒」または「元早大生」、「会社員」の肩書をつけ、顔写真を掲載したものもあった。また、申請人の自宅の様子とか、あるいは近所の主婦に申請人家族の日頃の様子を語らせた談話を記事にしたものもあった。その他、同日のテレビ・ニュースにおいても申請人の顔写真を写出して逮捕を報ずるものもあった。そして、被申請人の事務所へ問合せてくる通信社もあったが、右各報道には事務所の名は出なかった。

(二) その後逮捕者が続き、殆ど毎日のように前記新聞の外大阪、夕刊フジ、内外タイムスの各紙がこの事件を取上げて、捜査の経過を報道した。申請人のアパート等から逃走を助け、あるいは主犯の蔵匿、隠避に参画していた者がいたこと等を裏付けるメモが押収されたとか、申請人は竹内と接触していた連絡役であったとかの記事が出た後、同年一一月五日には、同月四日午後申請人は「犯意が薄い」等の理由で処分保留のまま釈放されたことが報道された。しかし、同年一二月八日には、これまでの捜査の結果判明した爆破グループの全容を解説した記事が出て、その組織図によれば、申請人の地位は最下位で、エル・ゲー予備隊、反帝戦線所属、平隊員となっている。

(三) 被申請人は昭和五一年一〇月一四日大阪へ出張していたが、事務所からの連絡で申請人の逮捕とその報道を知って急ぎ帰京し、深夜に亘って事務所幹部と善後策を協議した。被申請人の事務所は所謂大企業から特許出願事務の依頼を受けて処理するのが多く、機密保持を殊更厳しくしてその信用の上に成立っており、申請人も担当企業の関係者以外立入を規制されている研究施設に屡々出入して、研究員と顔馴染になり、施設や機密の細部を知悉している関係上、顧客に当る企業から爆破事件に関連する者を雇っていることを理由に、依頼人の企業秘密確保に不安を抱かれるようなことがあれば、被申請人の信用は途端に低下毀滅し、受注の減少という事態を招きかねず、そうなると被申請人の事務所は壊滅すると案じた結果、同日夜申請人を解雇し、これによって顧客企業へ申開をすることを決め、早速警視庁に留置されていた申請人宛内容証明郵便をもって懲戒解雇の意思表示をした。

(四) 翌一五日、被申請人を始め事務所の主だった者が顧客企業を駆廻って、監督不行届を詫び、既に申請人を解雇したことを告げて、今後は何らの危惧もないと弁明に努めるとともに、申請人がこれまで処理した特許事務等について顧客企業に迷惑がかかった時は被申請人において一切の責任をとる旨の書面を差出した。被申請人らは、顧客企業でも前記報道によって申請人が前記容疑で逮捕された事実を知って戦慄し、被申請人の事務所への発注を躇躊し、その検討を話題にしていたが、被申請人の対策を諒としてくれた事情を知って安堵した。その故か、現在まで被申請人の受注は変りなく続いている。

(五) 申請人の逮捕とともに、事務所は昭和五一年一〇月一五日警視庁の捜索を受け、申請人の出勤表、履歴書等を押収され、また同月二六日にも申請人の住所変更届等を押収された。一方、申請人は逮捕後勾留され、警察官や検察官の取調を受けたが、被疑事実については終始黙秘し、同年一一月四日処分保留のまま釈放されたが、前後して逮捕された他の者は殆ど起訴された。申請人は同日夜早速被申請人の事務所を訪れて、被申請人に対し解雇の徹回、翌日からの就労を求めたものの拒絶された。翌五日以降も同じことが繰返された。申請人の前記被疑事実については、昭和五二年一月二五日東京地方検察庁により「犯罪の嫌疑なし」との理由で不起訴処分がなされた。

(六) 被申請人は昭和五一年一〇月一九日申請人に対し解雇予告手当の他給与未払分を含めて諸控除差引の上金二九万六五四一円を支払う旨内容証明郵便で通知し、右郵便は翌二〇日警視庁に送達されたが、勾留に伴う接見禁止の措置がとられていたため、同年一一月四日まで申請人の目に触れなかった。被申請人は同日解雇予告手当として平均賃金三〇日分金一五万三五九〇円を供託し、申請人は同年一二月八日その払渡を受けた。同時に被申請人は同年一〇月二三日三田労働基準監督署に対し申請人の懲戒解雇につき除外認定を申請したが、程なくこれを取下げた。

(七) 被申請人の就業規則第四二条〔次の各号の一つに該当する時は減給出勤停止、職務変更をする。ただし事情により懲戒解雇することがある。情状によっては譴責に止めることがある。〕の第八号には「前条第三号乃至第十二号に該当しその情が重い時」と、また第九号には「その他前各号に準ずる程度の不都合な行為があった時」とそれぞれ規定されており、第四一条〔次の各号の一つに該当する時は懲戒解雇に処する。ただし情状により出勤停止、減給または職種変更に止める事がある。〕の第六号には「素行不良で事務所の秩序を乱したとき」と、第一二号には「不正不義の行為をして所員の体面を汚したとき」と、また第一三号には「その他前各号に準ずる程度の不都合な行為のあったとき」とそれぞれ規定されている。

3  被申請人が右のような就業規則をもって懲戒あるいは解雇事由を定めているのは、右事由に該当するときには従業員を懲戒あるいは解雇することがある旨を明らかにして職場秩序を図るとともに、同時にまた右事由が存在しない限り従業員を懲戒あるいは解雇しない旨を明示して従業員の地位を保障し、これにより円満な業務運営を図ろうとしているものと解される。従って、右事由が存在しないにも拘らずなされた懲戒あるいは解雇は自律規範に違反したものとして無効というべきである。ところで、同規則第四〇条第五号の規定による行政官庁の除外認定を受けることか、懲戒解雇の有効要件であるかどうかの判断は暫く措き、先ず同規則第四二条第八号、第九号、第四一条第六号、第一二号、第一三号の各事由に該当する事実の有無につき検討する。

前記疎明事実に基づいて考えるとき、従業員たる申請人が逮捕されたということは、その内容が所謂エル・ゲーなる反社会的組織の一員として犯行に加担したというものであるだけに、それ自体被申請人にとってその信用を損う由々しい出来事であり、被申請人の事務所は右逮捕の報道によって顧客たる企業から不信感を持たれ、敬遠される虞すら生じかねず、更に信用を唯一の基盤とする業務であることからも、これだけで事務所の存立に影響を及ぼすことになるという事情は十分推測できるところである。従って、申請人が所謂エル・ゲーなる組織に連る者として、逮捕にかかる事実を犯した者であるならば、その組織集団の所行に対する非難の厳しい折から、躇躊なく右各懲戒事由に該当するということができよう。もっとも、被申請人は申請人の犯行を確認しこれを理由に懲戒したのではなく、前記認定のように世間に広く報道されたことを理由とする。しかし、そのような報道がされ、ひいてはそれが前記各懲戒事由に該当することをもって申請人の行為によるものとしてその責に帰せしめるには、結局申請人が前記被疑事実を犯したかどうかにかかるというべきである。

ところが、本件においては、申請人が果して真実にかかる犯行をなしたかどうかについて、右懲戒解雇の意思表示のあった時点では、僅かに申請人が逮捕されたという事実が疎明されるのみで、他にこれを判断する資料は見当らない。もとより申請人の犯罪を認定する資料として確定した有罪判決の存在が不可欠であるとまでいうことはできないが、唯申請人がその犯行を自認しているとか、現行犯逮捕されたとかで明白な場合はともかく、そうでなければ被申請人独自の調査によって得た資料等一応人をして納得せしめるものがあることを要すると解される。そして逮捕状とて何らかの資料に基づいて発付されるものであるから、勾留、起訴に比べて程度の差があるにせよ、これによって一応犯罪の嫌疑が客観化されたものと見られないわけではない。だからといって、これだけで直ちに申請人の犯行を認定することはいささか速断に過ぎるといわざるを得ない。況んや申請人は勾留後、前後して逮捕された者が起訴されたにも拘らず、処分保留のまま釈放された末、嫌疑不十分として不起訴処分を受けたというその後の事情を考慮すれば、尚更のことといわなければならない。(尚、疎明資料によれば、被申請人の就業規則第三〇条、第三一条の各第二号には起訴休職制度を採入れていることが窺われるので、このことは一面から言えば被申請人としては従業員の犯罪の認定には慎重な態度を執っているものと見ることもできよう。)

そうすると、申請人の犯行についての疎明は未だ不十分と言う外なく、従って前記報道を申請人の責に帰せしめることはできないので、結局被申請人が申請人に対してなした懲戒解雇の意思表示は就業規則の懲戒規定の適用を誤ったものとして無効といわなければならない。

三  被申請人は就業規則第三二条第四号、第五号に基づく通常解雇をも主張する。

1  被申請人が昭和五二年三月一日の本件審尋期日において申請人に対し右解雇の意思表示をしたことは明らかであり、また被申請人が申請人に対し解雇予告手当を提供し、供託したことも前記疎明事実のとおりである。そして、疎明資料によれば、被申請人の就業規則第三二条には、「所員が次の各号の一つに該当する時は三十日前に予告する。または三十日分の平均賃金を支給して解雇する。(1)精神もしくは身体に故障があるかまたは虚弱、老衰もしくは疾病のため業務に堪えられないと認めた時、(2)正当な理由なしにしばしば無断欠勤した時、または正当な理由なしにしばしば無断遅刻、早退した時(3)しばしば遅刻、早退、または欠勤した時(4)やむを得ない業務上の都合による時(5)その他前各号に準ずるやむを得ない事由がある時」と規定されていること、そしてまた、被申請人の右解雇の主たる動機が前示のとおり申請人が所謂エル・ゲーの一員として逮捕され、その報道がなされたこと、それによって被申請人の信用を低下させたことにあると窺われるので、それを理由とする限り既に説示したところと全く同一の理由によって、前記各解雇事由の該当性を否定すべきである。

2  唯同規則第三二条第五号の規定が概括的なものであるので、この点についても検討する。

疎明資料によれば、申請人の欠勤、遅刻を換算した日数は、昭和四七年から昭和五一年五月まで事務所の部長級を除く全所員のそれと比べるとき、かなり悪い方に位置づけられるが、最も悪いものではなく、唯申請人の所属する技術第一部門在職者の昭和五〇年二月一一日から翌五一年二月一〇日までの一年間では最も劣悪な成績となっていたとはいうものの、略々これに近い成績の者も他に二名いたこと、申請人は月平均処理件数一一・五件で、月間目標処理件数一三件に及ばないこと、その他申請人は残業をしない、ネクタイをしない、勤務中離席することが多い、仕事中も落着かない態度をとる、深夜酒気を帯びて事務所に入ろうとしたことがある、研修会場内でコートを脱がなかったことがある等の行状が見受けられたことが疎明される。

右疎明事実を綜合すると、申請人の勤務成績、態度が必ずしも被申請人の期待に副うものでなかったといえるかもしれないが、それとても申請人ひとりが非難されるべきものとは認められず、解雇をもって臨まねばならない程度とは見られない。従ってこれだけでは未だ右解雇事由に該当すると断定するのは困難である。

四  疎明資料によれば、申請人は被申請人から受ける給与のみで生活していたが、被申請人から懲戒解雇の通告を受けた後は妻の稼働によって生活を維持していることが窺われる。そこで、申請人の本件申請は、その地位保全と昭和五一年一一月一日以降本案第一審判決の言渡がある迄一か月金一五万三五九〇円の割合による給料の仮払を命ずる限度で認容するのが相当である。よって、その余は却下し、申請費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 富田郁郎)

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